
ボルネオ島の熱帯雨林で、長年オランウータンの研究をしていた、久世濃子さん。そんな久世さん自身が2児のママになり、見えてきたものとは?サルの研究を通して、「ヒトの子育て」を考える連載です。
この連載では、農耕を開始する以前の社会で、ヒトがどのように暮らし、子育てしていたかを考えています。自然人類学を学んだ筆者が、自身が子育てしながら感じたことや考えたことを書いていますので、しっかりした学術的な根拠(研究論文)がない話も含まれます。「そういう考え方もあるのか~」と気楽な気持ちで読んでいただければ幸いです。
サルはどうして群れをつくるのか
今回の記事は、前回の記事(ヒトもともとの生活は「3世代同居の大家族」ではなかった【コソダテ進化論】)の続きです。
多くのサルでは、群れのサイズだけでなく、「専制的かどうか(順位が明確で厳しいかどうか)」という違いがあります。
食べ物が少なく、ナワバリを守る必要が高い場合は、サイズが大きく専制的な群れになることが多く、食べ物が十分あると、サイズが小さく、平和的な(順位が明確でない)群れになる傾向があります。とにかく昼行性(昼間動いて夜間眠る)のサルは基本的に群れをつくります。群れをつくらない唯一の例外が、私が研究していた「オランウータン」です。
そもそもサルはどうして群れをつくるのでしょうか?
群れの主な機能は「天敵から身を守る(複数の目があれば、天敵を早く見つけられる、仲間が襲われている間に逃げられる)」、「食物を確保する(他の同種の群れや他の動物から守る、奪う)」の 2つです。
なので、群れの外で単独で生活できるのは、オトナ雄ならともかく、ワカモノや子連れの雌にはほぼ不可能です。そのため、どんなに厳しくつらい群れ社会でも、サルはその中で生きていくしかありません。
私たちヒトも、昔は肉食獣に襲われることが多く、群れをつくることが必要だったのでしょう。
ヒトは他のヒトから食べ物を守る、奪うよりは、むしろ、自分以外の仲間たちと食べ物を分け合う方向で進化してきました(サルが食べ物を守るといっても、それは個々の個体が、自分が必要な分を食べられるようがんばる、だけで、親子であっても分け与えることはありません)。
現代の日本では日常で肉食獣の危険はほとんどありませんが、自分が生きていくために必要な物を全て自分でつくり出せるヒトはいないでしょう。ヒトは生きていくために「群れる(他個体と日常的に交流する)」ことは今でも必須で、オランウータンのような単独生活はできません。
平和的なオランウータンでも、逃げ場がないとイジメが起きる
さて私が研究していたオランウータンは、単独性で群れをつくりません。
子連れの雌も母子のみで暮らしています。彼らは体が大きく、樹上で生活しているので、肉食動物に襲われる危険がほとんどなく、大きな体のおかげで他の動物とも、食べ物を巡る争いで勝つことができるので、群れる必要がないのです。
野生のオランウータンの社会ではイジメはほとんどありません。「こいつ嫌だな」と思えば近づかない、離れるだけです。
そんな平和的なオランウータンでも、動物園の狭い施設で複数個体を一緒にすると、ケンカやイジメが起きることがあります。それは、逃げ場がないからです。最近の動物園では、個体同士の相性をよく見て、相性のいい個体同士だけを一緒にするようになっています。
ヒトの社会生活にとって、年齢を問わず、イジメにあったら一番重要なことは「逃げる」ことかもしれません。本来、ヒトは逃げずに不快な社会関係の中で耐えてがんばる、ニホンザルのような性質は持ち合わせていないと思います。
努力で解決できる「イジメ」なんて、じつはほとんどなく、物理的な距離をとることが一番の解決策なのかもしれません。
今回でこの連載は終了です。「コソダテ進化論」を楽しんでいただけたでしょうか。読者の皆さんの子育てにおける疑問や葛藤を解きほぐす一助になったのであれば幸いです。最後に心のこもったサポートを続けて下さったクルールの担当者と関係者の皆さんにも心より御礼申し上げます。またいつか、どこかでお会いしましょう!
久世濃子(NPO法人日本オランウータン・リサーチセンター 理事)
※この記事は、2016年~2017年に「つくば自然育児の会」会報に連載された「パレオ育児」に加筆修正したものです。



