
ボルネオ島の熱帯雨林で、長年オランウータンの研究をしていた、久世濃子さん。そんな久世さん自身が2児のママになり、見えてきたものとは?サルの研究を通して、「ヒトの子育て」を考える連載です。
この連載では、農耕を開始する以前の社会で、ヒトがどのように暮らし、子育てしていたかを考えています。自然人類学を学んだ筆者が、自身が子育てしながら感じたことや考えたことを書いていますので、しっかりした学術的な根拠(研究論文)がない話も含まれます。「そういう考え方もあるのか~」と気楽な気持ちで読んでいただければ幸いです。
ヒトはオトナになっても遊ぶ、珍しいサル
以前、「サルの子どもは何を使って遊びますか?サルにとってオモチャの役割ってなんでしょう?」と尋ねられたことがあります。
サルを含む動物の遊びは、大きく3つに分けられます。
まず「移動遊び(走る、跳ぶ、転がったりといった行動を繰り返す)」、「対物遊び(石や木の枝、雪などのものを手や口でもてあそぶ)」と「社会的な遊び」です(「遊びの人類学」)。
「社会的な遊び」の遊び相手はたいてい、同年代の子どもで、ヒト以外のサルでは、お母さんがコドモと遊んでくれることは滅多にありません。お母さんは食べ物を探して食べ、他のオトナの雄や雌たちとの付き合いで忙しいし、それから「オトナのサルは基本的に遊ばない」のです。
実はチンパンジーなどの大型類人猿やヒトは、オトナになっても遊ぶ、という点でも珍しい「サル」です。人類学者の中にはヒトのことを「ホモ・ルーデンス(遊ぶヒト)」と呼び、ヒトの文化の本質は「遊び」である、という議論を展開した研究者もいるくらいです。
話が少し横道にそれましたが、サルの子どもたちはどうやって遊ぶのでしょうか?
取っ組み合いや追いかけっこが最もよく見られ、木の枝を交代で引きずって遊ぶこともあります。サルの「社会的な遊び」は基本的に1対1で、3頭以上が一緒に遊んでいるように見えても、実際は1対1で遊んでいて、次々相手が交代していることがほとんどです。「綱引き」のように、多対多(チーム対抗)で遊ぶのは、今のところヒトだけでしか観察されていない遊び方です。
遊びの研究は、まさに泥沼
サルのコドモは「なぜ」遊ぶのでしょう?遊びには何か「役割」があるのでしょうか?そもそも「遊び」の定義とはなんでしょう?
実は、遊びの研究というのはとても難しく、私の友人で、「サルの遊び」の研究者は、研究を始めた頃、ある大御所の先生に「遊び研究は泥沼だ」と言われたそうです。
そもそも定義も難しい。さらに役割や機能を解明するのも難しい。
たとえば「雄は、オトナになったときの行動の訓練(雄同士や捕食者と闘う練習)として、取っ組み合いや追いかけっこをする」「雌は、育児ができるようにお母さんごっこをする」等々という仮説もありますが、その仮説にぴったりあてはまる結果が出ることよりも、出ないことの方が多い……まさに泥沼(苦笑)。
そこで、今回は遊びの役割や機能より、「コドモの遊びにとって、大事な要素は何なのか?」を考えてみたいと思います。
今も昔も「ゴッコ遊び」は遊びの定番
さて、先史時代には今のような子ども向けの「オモチャ」はほとんどなかったでしょうが、先史時代に比較的近い(全く同じではありませんが)生活を今でも続けていて、必要最低限の物しか持たない狩猟採集民の子どもは、どうやって遊んでいるのでしょう?
森に暮らす狩猟採集民の子どもたちは、だいたい10~15歳の少年少女たちが、それより年下(5~10歳)の子を引き連れて、森の中にある木や草、石などさまざまな自然物を加工したり、見立てたりしながら、「ゴッコ遊び」をよくします。
「狩りゴッコ」では手製の弓矢や槍等の道具で、鳥や小動物などを捕まえたり、赤ちゃんの世話や掃除や洗濯、化粧の「まねごと」をしたり。
もちろん、取っ組み合いやチャンバラ、動物の真似、踊りや歌を歌うなど、体を使った遊びもよく見られます。
今の子どもたちや私たちの子どもの頃と大して変わらないといえば、変わらない遊びですよね。きっとヒトは先史時代よりさらにその前から、連綿とこうして「遊んで」子ども時代を過ごしていたのでしょう。
この続きは、次の連載回でお伝えします。
参考文献
亀井伸孝 編著(2009)
「遊びの人類学ことはじめ:フィールドで出会った〈子ども〉たち」(昭和堂)
(昭和堂)
※狩猟採集民やサル(動物)の遊びの研究を紹介するエッセイ集。前述の私の友人も執筆しています。
※この記事は、2016年~2017年に「つくば自然育児の会」会報に連載された「パレオ育児」に加筆修正したものです。